ストレス社会を笑う仙道的秘伝
今朝五分鍛錬完了
昼は熱中症で死んでまうので散歩程度
しかし夕方帰りに公園で型やりだしたら、次の日の肩首周りの不調がアホみたいに解消してたのでやるようにしてたら
昨日封鎖されてた…
これ仙道的には主体性で捉えます
何故ならそうしないと自己解決できなくなって「されるがまま」を許す事になります
・「自分」は主観でしか見れない
・「自分」が消えたら自分が観ている「世界」は観測者がいなくなるので一緒に消滅
・「自分」は宇宙の一部
・私の主観で「世界」は存在している
このような点を逆手に取ると
「世界は自分の思うようになっている」
もっと言うなら
「私が観ている世界は私が主観で生み出した世界」
更に“いかれる”なら
【世界(宇宙)で起こっている事は全部「自分」のせい】
自分が「某世紀末」の様な世界にいて、めっちゃ生き難いと思うのも
やった〜法律とか無い、自由だ〜とか思うのも自分次第
今の現状をクソと思うのもおもろいゲームと思うのも自在、自分の思い通りという事実です
なので大げさでもなく「自分が世界の中心」(つまり人それぞれが創造神。大切な個々。天上天下唯我独尊はそういう意味らしい)なので、これを
誰々、政治、運勢、呪い等、「外部のせい」にしちゃうと事物のコントロール権を自ら投げ出す事になるので損ですか
何かの言いなり嫌なら
何でも「された」ではなく、
主体言語「させている」に変えます
精神的な言葉とかでは見難いので、仙道、武術では分かり易く誰かに軽く痛い程度で殴ってもらって、
1,「殴られている」(他者依存言語)と言いながら殴られる
2,「殴らせている」(主体言語)と言いながら殴らせる
これを比べたりします
これが物理的に出来るという事は日常的な見えない恐怖やストレスにも強くなるという事です
以上、
秘伝でしたw