常識の違和感
今日も朝から五分鍛錬
頚椎、背骨、腰椎が良い並びになると視界が広がったりクリアになる事を再確認
一人でいる時もこれは整っているかどうかの指針にしても良いのでは
あとは体感
特に正社員の仕事は今まで良い思い出がない
「仕事は辛くて当たり前」
普段普通に家族や恋人、友達と接している人達が「職場(仕事)」というテリトリーに入ると人間的な良い部分ではなく悪い部分が出ている気がする
「金を稼ぐ厳しさ」にそうされているのか
金はロスチャイルド家等世界を支配する人達を優位にする為の人工物
生活には必需品
となったのも明治から
江戸時代なら米
米は人の手が無いと育たない瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が持ち込んだもの
自分のやりたい事で稼いでる人は楽しそう
過剰も過少も少ない感じ
「働く」も人工物
日本ならどこにタネを蒔いても育つ黄金の国
アスファルトで土を隠し
種子の改良で人が手を貸さないと(肥料等加えないと)育たない様に改良
簡単に個人が食料を得られない様にする
皆んなが簡単に食料を手にすると支配層が操作し難くなるので
単純に金が無いと生きていけない様に補正、洗脳されている
師匠は金が無くても生きていけるという
金が無くて困ってはいるがストレスを抱えてまでたくさん欲しいとは思わない
働く事を神格化してる割には
現場では助け合いではなく競争原理で回っている
常識の違和感を感じる